弱者

そう俺は弱者だ
いつの間にかそうなっていた


というより初めからそうだったんだが
やっとメッキがはがれてきたというところだ
メッキがはがれてきた理由については後日また


さて最近がんばりが足りてないとかよく言われるが
俺はどこもがんばっちゃいないし、いなかった


がんばるということは結果を残すということに他ならない
「がんばったのにダメだった」という言葉は矛盾してる


「結果」は常に客観的事実として存在する
「がんばり」は主観的概念としか存在できない
だからどんなことがあろうと結果>がんばりの図式は絶対だ
この世界が自分一人ならまだしも社会性を持った世界で生きる以上
何よりも客観的事実が優先される


ただし決してそのがんばりは無駄だとは思わない
結果に直結しなかった「がんばり」はその人の精神を保つためには必要なのだと思う
結果が伴わなければやってきたことすべての意味がなくなるからだ

ただそれを周りに「がんばったけどダメだった」「精一杯やったけど…」などと漏らすことが愚かなのだ
言い訳は常に自分だけにすればいい。他人にすべきじゃない
そこで楽をしようとした分だけ後から圧し掛かってくる
逃げても逃げても逃げ切れないのが生きるということなのだから


思えば自分もよくそうやって言い訳していた
例えば受験勉強のとき
寝る間も惜しんですべてをかける覚悟で勉強していたかといえばしていない
就職活動のときもそうだ
自分からハードルを下げた。これでいいと自分を納得させた
そんなものががんばりの結果であっていいはずがないのだ


そしてその結果がこのザマなのだ
本当にがんばっていたらもっと理想的な人生を歩めたはずなのだ
今が不満なのは理想からかけ離れたからではないのだ
ふと振り返ってみればそこには
『がんばってない、さぼってる自分がいる』
ことに気がついてしまっているからだ


不満があるのは、誰であろう自分なのだ
最終的に自分を納得させるのは自分しかいない


もし今の環境が、今の自分が何か違うと思う人がいれば
自分の今まで歩いてきた奇跡を棚卸ししてみるといい
きっとどこかにさぼってる自分がいたことに気がつくから

そんな自分に気がついたら
何か変えなければならない。それはほんの少しでもいい
毎朝大声で挨拶するとかそんな些細なことでもいい
いきなり人間は変われない。ましてた何十年も生きて形成してきた自分自身を簡単に変えれるわけがない。だから何十年もかけて変えるしかないのだ

そう思うと人生はつまらないことかもしれないがそれを受け入れて始めて前に進めるんじゃないか、と俺は思うんだ